かぐや姫が月へ帰った後も、物語は終わりません。残された翁と嫗、帝、姫の手紙、不死の薬。その品は「永遠に生きたい」という願いではなく、姫に会えないのに生き続ける意味があるのかという問いへつながります。
姫がいなくなった家は、どうなった?
翁と嫗は姫の手紙を読み聞かせられても泣き暮らし、薬も飲まず、起き上がれないほどになります。不死の薬を手にした帝だけでなく、地上で育てた家族の喪失からこの章は始まります。
帝が不死の薬を飲まない理由は?
頭中将が、迎えを止められなかったことと、姫からの手紙・薬を帝へ伝えます。帝は「何の山か天に近き」と尋ね、さらに「あふことも涙にうかぶわが身にはしなぬくすりも何にかはせむ」と詠みます。会えない姫を思って涙する自分に、死なない薬が何の役に立つか、と問いかけているのです。
※本文の場面を参考に生成AIで作成した絵巻物風イメージです。実在の絵巻・史料の画像ではありません。
なぜ「天に近い山」を尋ねた?
帝はかぐや姫が帰った月に近い場所を思わせるように、「何の山か天に近き」と尋ねます。家臣は駿河の山を挙げ、勅使・調岩笠に手紙と薬を山頂へ運ばせます。使者が山へ運ぶのは、姫そのものではなく手紙と薬です。
「不死の薬」と「ふしの山」は、史実の語源?
物語は、山で不死の薬を燃やしたことからその山を「ふしの山」と名づけ、煙が今も雲へ上ると語って終わります。これは作品の中の由来話(語源譚)であり、富士山の名称や噴煙の実際の歴史的原因がここで証明されたわけではありません。物語の結末として味わい、史実とは区別しましょう。
富士の「煙」は、当時の読者には現実味があった
物語は、不死の薬と手紙を山頂で燃やした煙が今も立ち上る、と語って終わります。これはもちろん物語の中の由来話で、富士山の本当の語源や噴煙の科学的原因を説明したものではありません。ただし、平安時代の富士山が活発な火山だったことは史料から分かります。
滋賀県立大学の解説では、781年、800年、802年、864年、937年などに富士山の噴火記録があることが紹介されています。『竹取物語』の成立時期を考えると、「山から煙が上がる」という景色そのものは、同時代の人々に荒唐無稽なものではなかった可能性があります。現実の火山を、物語が「不死の薬を燃やす煙」へ変換したと見ると、結末の作り方が見えやすくなります。
参考:滋賀県立大学「竹取物語の世界」/京都大学貴重資料デジタルアーカイブ「竹取物語」
不死になれるのに、帝はなぜ燃やすのか
不死の薬は普通なら最高の宝に見えます。しかし帝は、姫に会えない自分には「しなぬくすりも何にかはせむ」と詠み、燃やさせます。ここでは長く生きること自体が価値なのではなく、誰と生きるかが価値を決めるという逆転が起きています。
不死の薬をめぐっては、当時の神仙思想・不老不死への関心と対比しながら読む研究があります。小嶋菜温子は、帝が薬を焼く結末に、人間の苦悩だけでなく、地上の共同体や皇権をめぐる意味も読み取っています。これは一つの研究上の解釈ですが、少なくとも本文が「不死=無条件に幸福」とは描いていないことは確かです。
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原文に戻って3問確認
先に原文の根拠を探してから、青い欄を開こう。
問1:不死の薬を最後に飲んだのは帝?
問2:山頂に運ばれたのは、かぐや姫?
問3:富士山の名前と煙の説明は、史実の証明?
読み終えたら
この章の判断や行動は、原文とリーダーの該当場面に戻って確かめましょう。本文の物語設定・会話・言葉遊びと、実際の歴史的事実は区別します。
これで竹取物語の第15章までを読み終えました。第1章に戻り、竹から見つかった姫と残された翁の場面を比べてみよう。