「計算のやり方は分かっているのに、とにかく時間がかかる」
塾で生徒を見ていると、こういう子は珍しくありません。
計算が遅いと、まず考えやすいのは練習不足です。もちろん、九九や基本計算がまだ自動化されていないなら、反復練習には意味があります。
ただ、実際に問題を解いている様子を見ていると、それだけでは説明しにくい子もいます。
- 問題から数字を書き写すのに時間がかかる
- 数字や符号を写し間違える
- 筆算で桁がずれる
- 途中式を書いているうちに、何を計算していたのか分からなくなる
- 問題とノートの間を何度も見直す
- 頭では分かっているのに、書く作業が追いつかない
こういう場合、単に「もっと速く」「もっと丁寧に」「計算問題を100問やろう」と言っても、なかなか改善しないことがあります。
そもそも、「計算が遅い」という結果だけでは、どこで時間を使っているのか分からないからです。
「計算が遅い」を一つの能力として考えない
例えば、次の筆算を考えてみます。
大人からすると簡単な計算です。
でも、実際に子どもがやっていることを細かく分けると、かなり多くの処理があります。
- 問題を見る
- 37と24を読み取る
- 必要ならノートに数字を書く
- 桁をそろえる
- 4×7を計算する
- 繰り上がりを覚えておく
- 次の掛け算へ移る
- 途中の答えを書く
- 十の位の計算へ切り替える
- 最後に二つの数を足す
しかも、これらを完全に一つずつ終わらせているわけではありません。
「今どこを計算しているのか」を保ちながら、目で数字を確認し、頭の中で計算し、手を動かしています。
計算=計算力だけではない
見る → 情報を一時的に覚える → 計算する → 書く → 次の場所へ移る、という複数の処理が重なっています。
だから、同じ「計算が遅い」でも原因は一つとは限りません。
「目で見て、手を動かす」能力も使っている
ここで関係してくるものの一つが、目と手の協応です。
簡単に言えば、目で捉えた情報に合わせて手を動かす能力です。
ボールを見ながらキャッチするような大きな動作だけではありません。
- 文字を書く
- 数字を正しい位置に書く
- 図形を写す
- 線をなぞる
- 問題と答案の間で視線を移しながら書き写す
こうした学校で当たり前に行っている作業にも、目と手の連携が含まれています。
2026年の研究では、目と手の協応と学力に関連があった
2026年9月、ブラジル・リオデジャネイロの公立学校に通う児童75人を対象にした研究が、Jornal de Pediatria に発表されました。
研究では、学期の初めと終わりに子どもたちを調べ、ワーキングメモリ、目と手の協応、国語と数学の成績との関係を分析しています。
目と手の協応はTouch Test Discという課題で、ワーキングメモリはDigit Spanという、数字を覚えて再現する課題などで測定されました。
結果として、目と手の協応が良い子ほど、国語・数学の成績も高いという関連が確認されました。
数学との相関は r = -0.398、国語との相関は r = -0.453 でした。目と手の課題は短時間で終えた方が成績がよいため、数字上は負の相関になっています。
これだけを見ると、
と思ってしまいます。
ただし、この研究の面白いところは、その先です。
数学では、ワーキングメモリの影響がよりはっきり残った
研究者たちは、目と手の協応だけでなく、年齢やワーキングメモリなど複数の要因を一緒に分析しています。
すると、数学の成績と独立して関連していたのは、年齢とワーキングメモリでした。目と手の協応は、単純な相関では数学と関係していましたが、多変量解析では独立した予測因子としては残りませんでした。
ここはかなり重要です。
「手先が不器用だから数学が苦手」と単純に結論づけることはできないからです。
目と手の協応が良い子は、同時にワーキングメモリなど別の認知機能も高いのかもしれません。家庭環境や学習経験など、別の要因が両方に影響している可能性もあります。
ワーキングメモリとは何か
ワーキングメモリは、必要な情報を一時的に頭の中に置きながら、その情報を使って作業する力と考えると分かりやすいです。
例えば筆算では、
「7×8=56。6を書いて、5を覚えておく」
という処理があります。
次の計算をしている間も、その「5」を頭の中に置いておかなければなりません。
文章題なら、問題文の前半に出てきた条件を覚えながら後半を読みます。
英語なら、文の前半を保持しながら後ろまで読み、文全体の意味を組み立てる必要があります。
こう考えると、学習ではかなり多くの場面でワーキングメモリを使っていることが分かります。
「相関がある」と「原因である」は違う
今回の研究から、
「目と手の協応を鍛えれば数学の成績が上がる」
とは言えません。
ここは研究を読むときにかなり大切です。
「Aが高い子ほどBも高かった」というのは相関です。
一方、「Aを変化させた結果としてBが変わった」と確かめて、初めて因果について強く言えるようになります。
今回の研究は子どもたちの状態を追跡した研究ではありますが、目と手の協応を実験的に鍛えた研究ではありません。
したがって、
- 手先を鍛えれば算数が伸びる
- 握力を鍛えれば成績が上がる
- 運動をさせればワーキングメモリが伸びる
といったところまで話を広げることはできません。
ただし、塾で子どもを見るうえでは非常に面白い示唆があります。
「ケアレスミス」は原因の名前ではない
答案を見ていると、「ケアレスミスが多い」という言葉を使いたくなることがあります。
符号を落とした。
数字を写し間違えた。
繰り上がりを忘れた。
文章題の条件を一つ読み落とした。
確かに、全部ミスです。
しかし、ケアレスミスは起きたことの名前であって、原因の名前ではありません。
全部を「注意不足」でまとめてしまえば、対策は「次から気をつけよう」になります。
でも、それで直るなら何度も同じミスは起こりません。
数字を写すところで毎回間違えるなら、問題と答案を行き来する方法を見た方がいい。
繰り上がりを保持できないなら、頭の中だけに残さず小さく書いた方がいい。
途中で場所を見失うなら、一度に処理する量を減らした方がいい。
同じミスでも、原因が違えば対策も変わります。
同じ「計算が遅い」でも4種類くらいに分けて考える
1.基本計算そのものが遅い
例えば7×8を出すのに毎回数秒かかる。
この場合は、九九などの基本計算が十分に自動化されていない可能性があります。
ここは反復練習が比較的そのまま効きやすい部分です。
2.書くところで時間がかかる
答え自体はすぐ出ているのに、書字が遅い。数字の大きさが安定しない。桁をそろえるのに時間がかかる。問題から数字を写すときに何度も視線を往復する。
この場合、計算ドリルの問題数だけを増やしても、ボトルネックは別の場所にあります。
3.途中の情報を保持できない
計算の一つ一つはできる。でも次の処理をしている間に、繰り上がりや途中結果が抜ける。
この場合は、ワーキングメモリへの負荷が高すぎないかを考えます。
4.「今どこをやっているか」を見失う
長い計算になると、同じところを二度計算したり、一段飛ばしたりする。途中式はあるのに、処理の順番が崩れてしまう。
こうした場合も、「計算力がない」の一言では説明できません。
ワーキングメモリが弱いなら、頭の外に出せばいい
ここでよくあるのが、
「ワーキングメモリが弱いなら、ワーキングメモリを鍛えよう」
という発想です。
もちろん、認知機能について研究する価値はあります。ただ、日々の学習指導では、能力そのものを鍛える以外にも方法があります。
その能力を大量に使わなくても解ける形にすることです。
- 繰り上がりは覚え続けず、小さく書く
- 文章題の条件は頭の中だけに置かず、線を引く
- 途中式は一行に一つの操作にする
- 必要な情報だけを紙の上に残す
これは「楽をする」という話ではありません。
紙やノートには、答えを記録するだけでなく、頭の中に置いておく情報を減らすという役割があります。
頭の中で全部覚えたまま計算することが目的ではありません。数学で考えたいところに頭を使えるように、覚えなくてもよい情報は外に出していい。
「もっと練習」の前に、どこで止まっているかを見る
計算が遅ければ練習量を増やす。
これは分かりやすい対策ですし、実際に必要な場合もあります。
ただ、100問解かせても、その子が毎回同じ場所で処理につまずいているなら、100回同じ負荷をかけているだけかもしれません。
そこで、一度問題を解いている様子そのものを見ます。
見るポイント
- 問題を見てから計算を始めるまで
- 基本計算そのもの
- 途中の数字を保持する場面
- 数字を書く場面
- 次の処理へ移る場面
- 問題と答案を見比べる回数
すると、「この子は計算が遅い」という大きすぎる問題が、
- 九九の取り出しに時間がかかる
- 途中の数字を保持するところで崩れる
- 数字を書き写すところで時間がかかる
- 処理の場所を見失いやすい
という、もう少し具体的な問題に変わります。
できるところまで課題を小さくする
学習でつまずいたとき、難しい問題を何度もやらせても改善しないことがあります。
そういうときは、課題を小さくします。
筆算が崩れるなら、一桁の計算まで戻る。
文章題ができないなら、まず条件を抜き出すだけにする。
途中式が崩れるなら、一つの操作だけを書かせる。
どこまで小さくすると問題なくできるのか。
そこを見ると、初めてつまずいている場所が見えてきます。
今回の「目と手の協応」と「ワーキングメモリ」の研究も、「手先を鍛えよう」という話として読むより、学習の失敗を細かく分解して見る必要があるというヒントとして読む方が、実際の指導には使いやすいと思います。
「できない」ではなく「どこで止まったか」
計算が遅い。
文章題ができない。
英単語が覚えられない。
集中力がない。
こうした言葉は便利ですが、どれもかなり大きなくくりです。
実際に教えるときには、その一段下を見る必要があります。
何を見たのか。
何を覚えておく必要があったのか。
どの瞬間に手が止まったのか。
どこまでは一人でできたのか。
そこが分かれば、やることを絞れます。
逆にそこが分からなければ、「もっと集中する」「もっと練習する」「もっと丁寧にやる」といった曖昧な指示になりがちです。
今回の研究だけで、計算が遅い原因が分かったわけではありません。目と手の協応が原因だとも、ワーキングメモリが原因だとも断定できません。
ただ、同じ「計算が遅い」という結果でも、その途中で使っている能力はいくつもあります。
結果だけを見て練習量を増やすのではなく、まず、どこで止まっているのかを見る。
そこから必要なことだけを練習する。
遠回りに見えますが、その方が結局、やることを絞りやすくなります。
神戸市須磨区・板宿のとだ塾
とだ塾では、問題が解けなかったときに「できない」で終わらせず、どこまでならできるのか、どの処理で止まっているのかを見ながら課題を調整しています。
参考にした研究
Fernandes V, de Souza Nunes NG, Mota N, Ribeiro S, Deslandes A. Academic achievement map: a clear cognitive route and a promising motor path. Jornal de Pediatria. 2026 Sep 23. DOI: 10.1016/j.jped.2026.101611
この記事では、研究で確認された「関連」と、原因・結果を示す「因果関係」を区別して記述しています。