「うちの子、本当に家で勉強しないんです」
保護者の方からよく聞く相談の一つです。
親からすると、「もうすぐテストなのに」「この成績ではまずいのに」「自分のことなのに、どうして本人が一番焦っていないの?」と思います。
その気持ちは、とても自然だと思います。
ただ私は、「やる気がないから勉強しない」と考える前に、もう一つ見てみたいことがあります。
その子は、自分の勉強のハンドルを、自分で握っているだろうか。
親が運転して、子どもを後ろに乗せていないか
勉強や進路を、車の運転にたとえてみます。
「次のテストでは80点を取りなさい」「今日は数学をやりなさい」「そろそろ勉強を始めなさい」「この高校を目指したら?」。
目的地からルート、出発時刻まで全部大人が決めていると、勉強しているのは子どもでも、実際には親が運転席に座っている状態になります。
子どもは後部座席に乗って、目的地まで連れていってもらう。
もちろん、小さいうちは大人が決める必要があることもたくさんあります。ただ、中学生、高校生になってもずっとそのままだと、自分で運転する練習ができません。
子どもを目的地まで連れていくことと、子どもが自分で目的地まで行けるようにすることは、似ているようで違います。

少しずつ、運転席を子どもに渡していく
私が目指したいのは、子どもが運転席に座り、親が助手席にいる状態です。
ハンドルを握るのは本人。アクセルを踏むのも本人。
親は隣から、「この先テストがあるけど、どうする?」「このままで間に合いそう?」「困っているなら一緒に考えようか」と助言する。
必要ならナビもする。危険な方向へ進んでいるなら止めることもあるでしょう。
でも、最後にハンドルを切るのは本人です。
これは「子どもの好きにさせて放っておく」という話ではありません。むしろ、運転席を渡したあとも助手席に座り続けるのが、大人の大切な役割だと思います。
失敗しないことより、失敗しても戻ってこられること
子どもにハンドルを渡せば、当然、道を間違えることがあります。
テスト勉強を始めるのが遅かった。思ったほど点が取れなかった。選んだ勉強法がうまくいかなかった。
親から見れば、事前に分かっていたこともあると思います。「だから言ったのに」と言いたくなることもあるでしょう。
それでも、すべての失敗を大人が先回りして取り除いてしまったら、自分で判断して、失敗して、立て直す経験も少なくなります。
「失敗しないようにしてあげる」だけではなく、「失敗しても一緒に立て直せる」と思えること。
道を間違えたら、一緒に現在地を見る。止まってしまったら、どうすればもう一度動けるか考える。
親が助手席にいる安心感は、そういうものではないかと思います。
「やる気を出せ」と言っても、アクセルは踏めない
私は昔から、「やる気が出たらやる」をあまり信用していません。
やる気が十分に高まるまで待っていたら、いつまでたっても始まらないことがあるからです。
それより、数学を1問だけやる。英単語を3個だけ見る。教材を開くだけでもいい。まず塾に来る。
最初の一歩を、できるだけ小さくします。
車でも、いきなり高速道路を走らせる必要はありません。最初は教習所のコースくらいでいい。
自分でアクセルを少し踏む。少し進む。「できた」と思う。もう少し進んでみる。
そうやって、自分で動かす感覚を少しずつ作っていく方が現実的だと思っています。
研究では「やる気がある・ない」だけでは考えない
教育心理学には、動機づけを考える代表的な枠組みの一つに自己決定理論があります。
ここで面白いのは、単純に「やる気があるか、ないか」だけで考えないところです。
怒られるからやるのか。ご褒美があるからやるのか。自分に必要だと思ってやるのか。そのこと自体が面白くてやるのか。同じ「勉強している」でも、本人の中での意味は違います。
144研究、7万9千人以上の学生をまとめたメタ分析では、自律性・有能感・関係性といった心理的欲求や、周囲からの自律性を支える関わりが、より自己決定的な学習動機と関連していました。特に教育場面では「自分にもできる」という有能感が強い予測因子でした。
だから「全部本人に任せればいい」ということではありません。まだ一人で運転できない子に「好きなところへ行っておいで」と言っても難しいでしょう。
大人が支えながら、少しずつ本人が決める部分を増やす。そのバランスが大切なのだと思います。
参考:Bureau et al. (2022), Pathways to Student Motivation: A Meta-Analysis of Antecedents of Autonomous and Controlled Motivations
「頑張る」より、最初の動きを決めておく
「明日から勉強を頑張る」という目標は、実はかなり難しいものです。
何時から? 何を? どこまで? その判断を、始めるたびにしなければならないからです。
それなら、「夕食が終わったら数学を1問だけやる」「塾に着いたら、まず学校ワークを開く」くらいまで決めてしまった方が動きやすい。
心理学では、こうした「○○したら△△する」という具体的な計画は実行意図(implementation intentions)と呼ばれます。
2026年に発表された子ども対象の系統的レビュー・メタ分析では、42研究、12,957人をまとめ、実行意図に小〜中程度の効果が報告されています。万能な方法ではありませんが、「やる気を大きくする」以外に、行動の入口そのものを設計する考え方があることは参考になります。
アクセルを思い切り踏ませるのではなく、最初の1ミリを踏みやすくする。
私は、その方が自走につながりやすいと思っています。
参考:Breitwieser & Reinelt (2026), The effectiveness of implementation intentions in children: A systematic review and meta-analysis
家で勉強できなくてもいい
もう一つ、私は「中学生なら家でも勉強するべき」とは必ずしも思っていません。
私自身、家ではなかなか勉強できないタイプでした。だから塾で勉強していました。
学校の課題も、必要な勉強も、できるだけ塾で終わらせる。家は休む場所でもいいし、家族と過ごす場所でもいい。
大切なのは、家で勉強したかどうかではなく、必要な学習がどこかで確保できているかだと思っています。
家で毎晩「勉強しなさい」と言い合って親子関係が悪くなるくらいなら、勉強する場所そのものを変えるのも一つの方法です。
塾が代わりに運転してしまっても意味がない
これは塾側も気をつけなければいけません。
親が運転席から降りた代わりに、塾の先生が「今日はこれ」「次はこれ」「宿題はこれ」と全部決め続けたら、運転手が親から塾に変わっただけです。
もちろん、最初はかなり手伝う必要がある子もいます。どの教材を使えばいいのか、自分が何を苦手としているのかも分からない状態で「自分で考えて」と言っても難しいでしょう。
だから最初は一緒にやる。やって見せる。できるところまで課題を小さくする。
そして少しずつ、「今日は何する?」「前回ここで間違えたけど、どうする?」「これが終わったら次は?」と、本人が決める部分を増やしていく。
塾もまた、最終的には助手席に移らなければいけない。そう考えています。
受験のために、子どもの人生を大人が運転しすぎない
高校受験や大学受験が近づくと、大人が焦るのは当然です。
でも、この世に「絶対にこの高校へ行かなければならない子」も、「絶対に東大へ行かなければならない子」もいません。
受験は、子どもの人間としての価値を決めるものではありません。目標があるなら、そこへ行くために必要な力をつける。届かなかったら、現在地を確認して次の道を考える。人生はその先も続きます。
だから私は、目の前の受験で親や塾が完璧に目的地まで送り届けることより、いつか本人が、自分で目的地を決め、自分でハンドルを握り、自分でアクセルを踏めるようになることの方が大切だと思っています。
「やる気を出しなさい」と言う前に、いま誰が運転席に座っているだろう。
一度そこから考えてみてもいいのではないでしょうか。