中学生の数学を見ていると、ときどきこんなことがあります。
方程式の解き方そのものは、なんとなく分かっている。
ところが途中に分数や小数が出てくると、急に手が止まります。
「通分ってどうするんやったっけ」「小数をなくすには何倍する?」「マイナスとマイナスは……」
一つひとつ考えているうちに、「あれ、そもそも何を求めてたんやっけ?」となってしまう。
こういう場合、私は中学校の問題だけを繰り返すより、一度、小学校で習った計算まで戻った方がいいと考えることがあります。
ただし、「中2だから小6から全部やり直す」という意味ではありません。
大切なのは学年ではなく、今の数学を邪魔しているところまで戻ることです。
先に結論を言うと、小学校算数を最初から全部やり直す必要はありません。分数・小数・符号など、今の数学で毎回手が止まるところまで戻り、必要なところだけ練習して、また今の単元へ戻ればいい。
計算が遅いこと自体が問題なのではない
私は「計算は何でも速ければ速いほどいい」とは考えていません。
多少時間がかかっても、「これは手を動かしていけば何とかなる」と本人が分かっているなら、そのまま先へ進めることもあります。
気になるのは、計算そのものに頭を使いすぎて、その問題で本当に考えたいことを見失っている場合です。
たとえば連立方程式なら、「どちらの文字を消すのか」「なぜこの式を何倍するのか」「今、何を求めているのか」を考えたい。
ところが、その前に分数、小数、符号の処理で頭がいっぱいになってしまうと、本題に使える余裕が少なくなります。
頭の中には「大きな本棚」と「小さな机」がある
これは、頭の中に大きな本棚と、小さな作業机があると考えると分かりやすいと思います。
本棚には、九九、分数の計算方法、方程式の解き方、公式、以前に解いた問題のパターンなど、これまで身につけてきた知識があります。
一方、いま目の前の問題を考えるために使える机は、それほど広くありません。
心理学でいうワーキングメモリは、この「いま使っている小さな机」に近いイメージです。
認知負荷理論では、ワーキングメモリは容量や保持時間に強い制約がある一方、長期記憶に整理された知識をまとまりとして利用できると、多くの情報を効率よく扱えると考えます。
つまり、勉強が得意な人だけが無限に広い机を持っているわけではありません。
必要な知識が本棚に整理されていて、必要なときにまとまりとして取り出せる。その結果、小さな机を効率よく使える。
この違いは大きいと思います。
参考:Paas, van Gog & Sweller (2010), Cognitive Load Theory: New Conceptualizations, Specifications, and Integrated Research Perspectives
分数が苦手だと、机の上が計算で埋まってしまう
たとえば連立方程式を解くとき、本来なら机の上には「どちらを消去する?」「何倍すればいい?」「この答えは何を表している?」といった、その問題の中心を置きたいところです。
ところが分数が苦手だと、「通分は?」「割り算だから逆数?」「符号は?」「この小数を分数に直す?」まで、一つずつ机の上に広げなければならない。
すると、机がいっぱいになります。
「計算はできるんです。時間をかければ」という状態でも、その計算が机を占領しすぎているなら、その先の数学で困りやすいということです。
逆に、分数計算に慣れていれば、通分・約分・逆数といった操作を毎回一から考えなくても、ある程度まとまった手続きとして扱えます。
基礎を身につけるというのは、簡単な問題ばかり解けるようになることではありません。難しいことを考えるために、机の上を空けておくことでもあります。
特に分数・小数は、後の数学でも何度も使う
中学数学では、小学校で習った計算を「使えるもの」として授業が進みます。
方程式でも、連立方程式でも、平方根でも、その先の高校数学でも、分数や小数は何度も出てきます。
特に分数については、その後の数学との関連を示した研究がいくつもあります。
米国と英国の大規模な縦断データを分析した研究では、小学生時点の分数と割り算の知識が、5〜6年後の高校段階の代数や数学全般の成績を予測しました。一般的な知的能力、ワーキングメモリ、家庭背景などを統計的に考慮した後にも関連が残っています。
参考:Siegler et al. (2012), Early predictors of high school mathematics achievement
また、中学生350人を調べた研究では、年度初めに測定したさまざまな分数技能の中で、分数計算が年度末に最も高い代数成績を示すグループに入ることを最もよく予測していました。
参考:Barbieri et al. (2021), Predicting Middle School Profiles of Algebra Performance Using Fraction Knowledge
さらに、6年生の分数概念の理解が翌年の数学成績の伸びと関連し、分数計算の流暢さにも、整数計算だけでは説明できない予測力があったという研究もあります。
参考:Bailey et al. (2012), Competence with fractions predicts gains in mathematics achievement
もちろん、「数学が苦手なのは全部分数のせい」「分数さえできれば数学はできる」という話ではありません。
大切なのは、今やっている数学を邪魔している基礎技能が何なのかを見ることです。その代表例として、分数や小数はかなり重要だと考えています。
では、小学校算数を全部やり直すのか
その必要はありません。
たとえば中2の方程式で困っている子に、小1の教科書から順番に全部やり直してもらうわけではありません。
まず確認したいのは、整数・小数・分数を含む四則演算が、どこまで自力で処理できるかです。
分数の割り算だけ止まるなら、そこまで戻る。通分で止まるなら、通分まで戻る。小数と分数の扱いで混乱するなら、そこを確認する。
学年を戻すのではなく、今つまずいている原因まで戻る。
必要なところを整えたら、また現在の単元へ戻ればいい。
私は少なくとも、整数・小数・分数を含む四則演算については、中学数学のいろいろな場面で使う道具として、できるだけ自由に扱える状態にしておきたいと考えています。
とだ塾では、まず「どこで机が埋まるか」を見る
「小学校算数が苦手」という大きなくくりだけでは、戻る場所が分かりません。
とだ塾で見るときは、いま取り組んでいる問題の途中で、どこから手が止まるのかを見ます。
- マイナスの符号で毎回止まるのか
- 小数を含む式になると処理が崩れるのか
- 通分や約分で時間を使いすぎるのか
- 分数の割り算になると手順が曖昧になるのか
- 計算は進むけれど、途中で何を求めていたか分からなくなるのか
そこで止まっている場所が見えたら、必要な計算を少し練習して、また元の問題へ戻ります。
戻り学習そのものを目的にはしません。戻ったことで、いま解きたい問題が少し楽になったかを見ます。
全部を完璧にしてから先へ進むのではなく、必要な道具を取りに戻って、また使いに行く。私はそのくらいの往復で考えています。
「中2なのに小学生の問題なんかやりたくない」
これは当然あると思います。
本人にもプライドがあります。
だから、無理やり戻せばいいとも思っていません。
「ここを練習した方が、今の問題が楽になると思うよ」と伝えても、本人が「いや、このままやりたい」と言うなら、一度そのまま進んでみることもあります。
すると難しい問題に何度もぶつかったあとで、「先生が前に言ってたのは、こういうことか」と自分で気づくことがあります。
一見すると効率の悪い時間ですが、そういう経験が必要なこともあります。
大人に「基礎が大事」と言われて戻るのと、自分で「これが必要だった」と分かって戻るのでは、同じ復習でも意味が少し違うからです。
戻ったら、また何年もかかるわけではない
「小学校の内容まで戻ったら、受験に間に合わないのでは」と心配されることがあります。
でも、一度習った内容を学び直すことは、最初に習ったときとまったく同じではありません。
中学数学まで進んだからこそ、「分数ができないと、ここで困るのか」と分かっていることもあります。
以前は意味が分からなかったことが、少し先まで勉強したあとに戻ることで、急につながることもあります。
これは高校数学でも珍しくありません。
一度先の景色を見たからこそ、戻って見たときに分かることがあります。
ですから、必要だと分かった時点で、必要なところを学び直せばいいと私は考えています。
中2だからもう遅い、ということではありません。中3、高校と進めば基礎計算を使う場面はさらに増えます。気づいたところで少し整えておく方が、その後の勉強は進めやすくなります。
戻るかどうかも、最後は本人が決める
先生や保護者は、「ここを練習したら、もっと楽になると思うよ」と伝えることはできます。
でも最後に、「自分にはここが必要なんだ」と引き受けるのは本人です。
難しい問題にぶつかったときに、「自分には何が足りないんだろう」「どこまで戻ればいいんだろう」と考えられること。
私は、数学の単元を一つ早く進めること以上に、そうやって自分の学習を調整できるようになることも大切だと思っています。
戻り学習は、「今必要なもの」を取りに戻ること
小学校の計算まで戻ることは、恥ずかしいことでも、これまでの勉強を全部やり直すことでもありません。
今の問題を解くために必要な道具が本棚の奥でうまく使えないなら、一度取り出して、使いやすいところに置き直す。
そして机が少し空いたら、もう一度いまの問題に戻ってみる。
戻り学習は、学年を戻すことではありません。今やりたいことを邪魔しているところまで、必要なものを少し取りに戻ることです。